JUKEN CAMP presents

外から来たものを、力に変えてきた。

生まれ変わった日本

外からの衝撃で、姿を変えた17回

ここでいう「生まれ変わった」とは、日本が一度なくなったという意味ではありません。外から来た文化・技術・戦争・世界の変化を受け、暮らしや国のしくみ、外国との関係が、以前の形には戻れないほど変わったことを指します。

約3000年の変化5時代を横断17回の分岐点

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「この前」と「この後」で読む

古代紀元前10世紀ごろ〜生活

稲作と金属器が、むらを変えた

この前

狩り・採集・漁を中心に、地域ごとに暮らす

この後

米を作って蓄え、土地と水を守るむら・くにへ

朝鮮半島などとの交流を通じて、九州北部に水田稲作が伝わった。青銅器や鉄器も入り、米を蓄えられるようになると、大きな集落が生まれた。一方で、富や身分の差、土地や水をめぐる争いも広がり、やがて「くに」が形づくられていく。

生まれ変わりポイント

食べ物を得る暮らしから、食べ物を生産し、蓄え、分ける社会へ変わった。

弥生時代
水田稲作が広がり、むらからくにが生まれた時代。
水田稲作
水を引いた田で米を育てる農業。
高床倉庫
湿気やねずみを防ぎ、米などを蓄えた建物。
青銅器
主に祭りや権威を示す道具に使われた金属器。
鉄器
木を切る道具や農具、武器に使われた丈夫な金属器。
環濠集落
周囲に深い堀をめぐらせて守った集落。
古代6〜7世紀宗教

仏教を受け入れ、日本流に変えた

この前

山・川・祖先など、身近な神々をまつる

この後

仏・寺院・経典が、政治と人々の暮らしに入る

6世紀、朝鮮半島の百済から仏教が公に伝えられた。受け入れるかをめぐって蘇我氏と物部氏が争ったが、やがて寺院や仏像づくりとともに、大陸の文字・建築・学問も広がった。古くからの神への信仰は消えず、のちに神と仏を結びつける日本独自の形へ発展した。

生まれ変わりポイント

外来の宗教をそのまま置き換えるのではなく、古くからの信仰と共存させた。

仏教伝来
538年または552年とされる、仏教が公に伝わった出来事。
蘇我氏
仏教を受け入れようとした有力豪族。
物部氏
仏教の受け入れに反対した有力豪族。
聖徳太子
仏教を重んじ、大陸の制度や文化を学ぼうとした人物。
飛鳥文化
仏教を中心に栄えた、日本最初の本格的な仏教文化。
神仏習合
日本の神々と仏を結びつけて考えるようになった信仰。
古代663年〜国家

白村江の敗戦から、国づくりを急いだ

この前

倭は朝鮮半島の争いに軍を送り、百済を助ける

この後

侵攻に備え、国を一つにまとめる改革を加速する

倭は、滅びた百済を助けるため朝鮮半島へ大軍を送ったが、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した。次は倭が攻められると恐れ、水城や山城を築き、防人を置いた。すでに始まっていた中央集権化も加速し、のちの律令国家と国号「日本」につながった。

生まれ変わりポイント

外国での大敗を、防衛の強化と中央集権的な国家づくりへ転じた。

白村江の戦い
663年、倭・百済軍が唐・新羅連合軍に敗れた戦い。
唐・新羅
百済を滅ぼし、倭の軍も破った連合勢力。
水城
大宰府を守るため、土と堀で築いた大きな防壁。
防人
九州北部などの守りについた兵士。
律令国家
法律と役所を使い、天皇を中心に全国を治める国家。
大宝律令
701年に完成し、国の統治の基本となった法典。
古代7〜10世紀文化

唐から学び、日本の文化に作り替えた

この前

唐の制度・文字・建築・服装を手本にする

この後

学んだものを、日本の言葉や暮らしに合わせる

日本は遣隋使・遣唐使を送り、東アジアの大国から制度や文化を学んだ。894年、唐の衰えや航海の危険などを背景に、菅原道真が遣唐使の停止を提案する。その後、中国文化を土台にしながら、かな文字や和歌、寝殿造など、日本の生活に合った国風文化が育った。

生まれ変わりポイント

外国の手本をまねる段階から、学んだものを自分たちの形に編集する段階へ進んだ。

遣唐使
唐の制度や文化を学ぶために送られた使節。
菅原道真
894年に遣唐使の停止を提案した学者・政治家。
かな文字
漢字をもとに、日本語を書きやすくした文字。
国風文化
平安時代に発達した、日本の風土や生活に合う文化。
源氏物語
紫式部がかな文字を使って書いた長編物語。
寝殿造
平安時代の貴族の暮らしに合うよう発達した住居。
中世1274・1281年戦争

モンゴル帝国の襲来をしのいだ

この前

武士の戦いは、主に日本国内の争いだった

この後

海の向こうの巨大帝国に備え、国土を守る戦いへ

ユーラシアの広い地域を支配した元は、日本に服属を求め、二度にわたって攻めてきた。御家人たちは九州で戦い、二度目に備えて博多湾岸に石塁を築いた。暴風も元軍に大きな被害を与えたが、新たに与えられる土地が乏しく、十分な恩賞を得られない御家人の不満が積み重なった。

生まれ変わりポイント

征服は免れたが、外敵との戦いが、土地を仲立ちにした鎌倉幕府のしくみを揺さぶった。

元寇
元による二度の日本襲来。蒙古襲来ともいう。
文永の役
1274年に起きた最初の襲来。
弘安の役
1281年に起きた二度目の大規模な襲来。
北条時宗
元の服属要求を退けた鎌倉幕府の執権。
石塁
再度の襲来に備え、博多湾岸に築いた防壁。
御家人
幕府に従って戦った武士。戦後の恩賞不足に苦しんだ。
中世1543・1549年〜技術・宗教

鉄砲とキリスト教が、戦国日本を揺らした

この前

弓や槍で戦い、寺社が大きな力を持つ

この後

鉄砲・世界貿易・新しい信仰が一気に広がる

1543年、種子島に漂着したポルトガル人から鉄砲が伝わり、日本の職人は短期間でその製造法を身につけた。1549年にはザビエルがキリスト教を伝え、南蛮貿易も活発になる。大名は新技術と貿易を利用し、軍備や城、戦い方を変えていった。

生まれ変わりポイント

外国の技術をすぐに国産化し、宗教と貿易も大名どうしの競争に組み込んだ。

鉄砲伝来
1543年、種子島に火縄銃が伝えられた出来事。
ザビエル
1549年に来日し、キリスト教を伝えた宣教師。
南蛮貿易
日本とポルトガル・スペインなどとの貿易。
キリシタン大名
キリスト教を信仰し、宣教を保護した大名。
長篠の戦い
鉄砲が集団で用いられたことで知られる1575年の戦い。
南蛮文化
ヨーロッパとの交流から生まれた文化。
近世1630年代〜外交

交流を断たず、窓口を管理した

この前

大名や商人も海外へ行き、宣教師が各地で活動する

この後

幕府が宗教と貿易を統制し、四つの窓口に絞る

幕府はキリスト教と海外勢力の結びつきを警戒し、日本人の海外渡航やポルトガル船の来航を禁じた。ただし、外国との関係がなくなったわけではない。長崎・対馬・薩摩・松前という「四つの口」を通じ、貿易・外交・情報の流れを幕府が管理した。

生まれ変わりポイント

世界から閉じこもったのではなく、自由な交流を、幕府が統制する交流へ変えた。

鎖国
幕府が海外との交流相手と窓口を厳しく制限した体制。
禁教
キリスト教の信仰と布教を禁止した政策。
出島
長崎に置かれ、オランダ商館が移された人工島。
長崎口
中国・オランダとの貿易を行った窓口。
対馬口・薩摩口
朝鮮、琉球との外交・交易を担った窓口。
松前口
松前藩を通じ、アイヌの人々と交易した窓口。
近世1840年代危機

清の敗北が、日本の海防を変えた

この前

清を中心とする東アジアの秩序が、長く続いていた

この後

西洋の軍事力が東アジアの大国を破る時代になる

1840年に始まったアヘン戦争で、清はイギリスに敗れ、不平等な南京条約を結ばされた。日本にとって、長く文化の手本としてきた清の敗北は大きな衝撃だった。幕府は1842年、異国船打払令を薪水給与令に改め、海防・西洋式砲術・外国情報の収集を急いだ。

生まれ変わりポイント

遠い国の敗戦を自国の危機として受け止め、黒船が来る前から対応を変え始めた。

アヘン戦争
1840年から、清とイギリスが戦った戦争。
南京条約
清が港を開き、香港をゆずった講和条約。
異国船打払令
外国船を見つけしだい追い払うとした幕府の命令。
薪水給与令
外国船に燃料や水を与えて帰す方針へ改めた命令。
海防
海岸を守り、外国船の攻撃に備えること。
蘭学
オランダ語を通して学んだ西洋の学問。
近代1853〜1868年国家

黒船が、幕府の政治を揺さぶった

この前

幕府が外国との窓口を限り、全国の大名を従える

この後

開国をめぐって幕府が揺らぎ、新しい政府が生まれる

1853年、ペリーが蒸気軍艦を率いて来航し、翌年、幕府は日米和親条約を結んだ。続く通商条約は日本に不利な不平等条約だったため、幕府への批判が高まる。開国か攘夷かをめぐる対立や国内の政治争いが重なり、約260年続いた江戸幕府は倒れ、明治政府が成立した。

生まれ変わりポイント

外国に開国を迫られたことが、外交だけでなく、日本を治める政府そのものを変えた。

ペリー来航
1853年、アメリカ艦隊が浦賀に来て開国を求めた出来事。
日米和親条約
下田・函館を開き、鎖国体制を終わらせた条約。
日米修好通商条約
関税や裁判の面で日本に不利だった通商条約。
尊王攘夷
天皇を尊び、外国勢力を追い払おうとする考え。
大政奉還
徳川慶喜が政権を朝廷に返した出来事。
明治維新
幕府を倒し、近代国家をめざして進めた改革。
近代1870〜1890年代制度

西洋を調べ、近代国家を組み立てた

この前

藩ごとに武士が治め、身分によって役割が違う

この後

全国を同じ法律・学校・税・軍隊でまとめる

明治政府は岩倉使節団を欧米へ送り、政治・産業・教育を直接調べた。外国人専門家を招き、留学生を送り、複数の国の制度を選んで組み合わせた。廃藩置県、学制、徴兵令、地租改正、殖産興業を進め、憲法と国会を持つ近代国家を短期間で築いた。

生まれ変わりポイント

西洋を丸ごとまねるのではなく、分野ごとに手本を選び、日本の国家制度へ組み直した。

岩倉使節団
1871年から欧米を視察し、制度や産業を調べた使節団。
廃藩置県
藩を廃止し、政府が任命する県令を置いた改革。
学制
全国に学校を設けようとした近代的な教育制度。
徴兵令
満20歳の男子に兵役の義務を課した法令。当初は免役規定もあった。
殖産興業
政府が近代産業を育てた政策。
大日本帝国憲法
1889年に発布された、日本最初の近代憲法。
近代1894〜1910年帝国主義

支配される恐れから、支配する側へ回った

この前

欧米の植民地にされないことが、国の大きな目標

この後

戦争に勝ち、台湾・朝鮮などを支配する帝国へ

帝国主義の時代、日本は富国強兵を進め、日清・日露戦争に勝利した。不平等条約の改正を進め、列強の一員と見られるようになった一方、台湾を植民地とし、1910年には韓国を併合した。自国の独立を守ろうとした国が、他国の独立を奪う側へ変わった。

生まれ変わりポイント

近代化は日本の存続を助けたが、その力は周辺地域への支配と被害にもつながった。

帝国主義
強い国が軍事力で植民地や権益を広げた動き。
日清戦争
1894年から日本と清が朝鮮をめぐって戦った戦争。
下関条約
清が台湾などを日本へゆずった講和条約。
日露戦争
1904年から日本とロシアが戦った戦争。
ポーツマス条約
日露戦争を終わらせた講和条約。
韓国併合
1910年、日本が韓国を植民地支配下に置いた出来事。
近代1914〜1920年国際政治・経済

世界大戦が、日本の経済と立場を変えた

この前

欧米列強を追いかける、新興の工業国

この後

輸出と発言力を伸ばし、列強の一員へ

1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦し、中国・山東省のドイツ権益や南洋諸島を占領した。欧州製品がアジア市場から減ったため、日本の輸出と工業生産は伸びたが、物価高と米騒動も起きた。中国への二十一か条の要求は強い反発を招き、1919年のパリ講和会議では戦勝国として世界政治に参加した。

生まれ変わりポイント

日本から遠い戦争が、経済と国際的地位を高める一方、中国への圧力や国内の物価高も広げた。

第一次世界大戦
1914〜1918年、連合国と同盟国を中心に戦われた世界規模の戦争。
日英同盟
日本が連合国側で参戦する根拠となったイギリスとの同盟。
二十一か条の要求
1915年、日本が中国の袁世凱政府へ認めさせた要求。
大戦景気
輸出の増加により、日本の工業と海運が急成長した好景気。
米騒動
1918年、米価の急騰をきっかけに全国へ広がった民衆運動。
パリ講和会議
1919年、日本も戦勝国として参加した戦後処理の会議。
現代1929〜1937年恐慌・戦争

世界恐慌から、国際的な孤立へ進んだ

この前

政党内閣が続き、国際協調で問題を解こうとする

この後

軍の行動が政治を動かし、国際連盟から離れる

1929年の世界恐慌は日本にも及び、生糸の輸出が落ち、農村の生活が悪化した。1931年、関東軍は満州事変を起こし、政府も占領を追認する。国際連盟が満州国を認めないと、日本は1933年に脱退を通告し、その後、中国との全面戦争へ進んでいった。

生まれ変わりポイント

危機が自動的に戦争を生んだのではない。苦境のなかで軍事行動を選び、止められなかった結果だった。

世界恐慌
1929年の株価暴落から世界へ広がった大不況。
昭和恐慌
世界恐慌などの影響で日本を襲った深刻な不況。
満州事変
1931年、関東軍が中国東北部を占領した出来事。
満州国
日本軍の支配下で中国東北部につくられた国。
国際連盟脱退
満州国をめぐる勧告を受け、日本が脱退を通告した。
日中戦争
1937年に始まった日本と中国の全面的な戦争。
現代1945年敗戦

敗戦で、帝国日本が崩れた

この前

植民地と軍隊を持ち、国民を総動員して戦う帝国

この後

植民地と軍事力を失い、連合国軍の占領下に置かれる

沖縄戦、本土空襲、広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦を経て、日本はポツダム宣言を受け入れた。戦争は1945年8月に終わり、日本の植民地支配も終わった。多くの命と都市を失い、海外からの引き揚げも続くなか、日本は連合国軍の占領下に置かれた。

生まれ変わりポイント

国の領域・軍事・政治の前提が一度に崩れ、日本史で最大級の「作り直し」が始まった。

沖縄戦
住民を巻き込み、多数の犠牲を出した地上戦。
原子爆弾
広島と長崎に投下され、甚大な被害を生んだ兵器。
ソ連参戦
1945年8月、ソ連が日本との戦争に加わったこと。
ポツダム宣言
連合国が日本に降伏と軍国主義の除去を求めた宣言。
終戦
8月15日に降伏受諾が国民へ伝えられ、9月2日に降伏文書へ署名した。
引き揚げ
海外にいた軍人や民間人が日本へ帰ること。
現代1945〜1952年政治

占領下で、国のルールを作り直した

この前

天皇主権の憲法と、制限の多い国民の権利

この後

国民主権・基本的人権・平和主義を国の柱にする

連合国軍総司令部(GHQ)は、日本政府を通して非軍事化と民主化を進めた。日本側との交渉や国会での審議を経て日本国憲法が成立し、女性参政権、農地改革、教育改革なども実施された。1952年、平和条約の発効によって日本は主権を回復したが、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれた。

生まれ変わりポイント

外からの強い働きかけを受けながら、制度として定着させ、現在の日本の土台にした。

GHQ
占領政策を進めた連合国軍総司令部。
日本国憲法
1947年施行。国民主権・基本的人権・平和主義が柱。
女性参政権
女性にも選挙権と被選挙権が認められた。
農地改革
地主の土地を小作人へ移し、自作農を増やした改革。
教育基本法
戦後の民主的な教育の基本を定めた法律。
サンフランシスコ平和条約
1952年に発効し、日本が主権を回復した条約。
現代1950〜1972年冷戦・経済

冷戦の中で、経済を中心に再出発した

この前

非軍事化を優先し、戦争で壊れた国を立て直す

この後

日米同盟のもと、防衛を抑えながら経済を伸ばす

米ソの冷戦が激しくなり、1950年に朝鮮戦争が始まると、占領政策は日本の早期復興を重視する方向へ変わった。朝鮮特需が復興を加速させ、日米安全保障条約と自衛隊による安全保障の形が整う。技術導入・設備投資・貿易の拡大も重なり、高度経済成長へ進んだ。沖縄は米国統治が続いたのち、1972年に日本へ復帰した。

生まれ変わりポイント

安全保障をアメリカに大きく依存しながら、経済成長を中心に国を再建した。

冷戦
アメリカとソ連が直接戦わずに続けた世界的な対立。
朝鮮特需
朝鮮戦争のため、物資やサービスの注文が日本に集まったこと。
日米安全保障条約
日本の安全保障と米軍の駐留に関する条約。
自衛隊
1954年に発足した、日本の防衛を担う組織。
高度経済成長
1950年代半ばから、日本経済が急速に拡大した時期。
沖縄返還
1972年、沖縄の施政権がアメリカから日本へ返還されたこと。
現代1973年〜資源・技術

石油危機を、省エネへの転換に変えた

この前

安い石油を大量に使い、重化学工業を伸ばす

この後

省エネ型の生産と製品を強め、石油依存を下げる

1973年の第1次オイルショックで原油価格が急上昇し、石油の多くを輸入する日本では物価上昇や買い占めが起きた。企業は燃料を減らす生産方法を開発し、政府も石油以外のエネルギーと省エネを進めた。省エネ型の自動車や家電が強みとなり、素材産業から加工組立型産業への転換も進んだ。

生まれ変わりポイント

資源の乏しさを、節約だけでなく、省エネ技術と産業構造の変化につなげた。

オイルショック
中東情勢を背景に石油価格が急上昇した世界的な混乱。
石油依存
エネルギーの多くを輸入石油に頼っている状態。
狂乱物価
1973〜74年ごろ、物価が急激に上がった状態。
省エネルギー
同じ働きを、より少ないエネルギーで行うこと。
省エネ法
1979年に制定され、エネルギーの効率的な利用を進めた法律。
産業構造の転換
エネルギーを多く使う産業から、技術・サービス重視へ移ること。

変わることは、いつも「成功」ではない。

日本は外から来たものを取り入れ、何度も危機を越えてきました。しかし、その変化は、周辺の国々を支配した時代や、戦争へ進んだ失敗も含みます。歴史から見える強さとは、何でも正しかったことではなく、失敗のあとにも国の形を作り直してきたことです。