01
朝鮮半島などとの交流を通じて、九州北部に水田稲作が伝わった。青銅器や鉄器も入り、米を蓄えられるようになると、大きな集落が生まれた。一方で、富や身分の差、土地や水をめぐる争いも広がり、やがて「くに」が形づくられていく。
生まれ変わりポイント食べ物を得る暮らしから、食べ物を生産し、蓄え、分ける社会へ変わった。
- 弥生時代
- 水田稲作が広がり、むらからくにが生まれた時代。
- 水田稲作
- 水を引いた田で米を育てる農業。
- 高床倉庫
- 湿気やねずみを防ぎ、米などを蓄えた建物。
- 青銅器
- 主に祭りや権威を示す道具に使われた金属器。
- 鉄器
- 木を切る道具や農具、武器に使われた丈夫な金属器。
- 環濠集落
- 周囲に深い堀をめぐらせて守った集落。
02
6世紀、朝鮮半島の百済から仏教が公に伝えられた。受け入れるかをめぐって蘇我氏と物部氏が争ったが、やがて寺院や仏像づくりとともに、大陸の文字・建築・学問も広がった。古くからの神への信仰は消えず、のちに神と仏を結びつける日本独自の形へ発展した。
生まれ変わりポイント外来の宗教をそのまま置き換えるのではなく、古くからの信仰と共存させた。
- 仏教伝来
- 538年または552年とされる、仏教が公に伝わった出来事。
- 蘇我氏
- 仏教を受け入れようとした有力豪族。
- 物部氏
- 仏教の受け入れに反対した有力豪族。
- 聖徳太子
- 仏教を重んじ、大陸の制度や文化を学ぼうとした人物。
- 飛鳥文化
- 仏教を中心に栄えた、日本最初の本格的な仏教文化。
- 神仏習合
- 日本の神々と仏を結びつけて考えるようになった信仰。
03
この後侵攻に備え、国を一つにまとめる改革を加速する
倭は、滅びた百済を助けるため朝鮮半島へ大軍を送ったが、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した。次は倭が攻められると恐れ、水城や山城を築き、防人を置いた。すでに始まっていた中央集権化も加速し、のちの律令国家と国号「日本」につながった。
生まれ変わりポイント外国での大敗を、防衛の強化と中央集権的な国家づくりへ転じた。
- 白村江の戦い
- 663年、倭・百済軍が唐・新羅連合軍に敗れた戦い。
- 唐・新羅
- 百済を滅ぼし、倭の軍も破った連合勢力。
- 水城
- 大宰府を守るため、土と堀で築いた大きな防壁。
- 防人
- 九州北部などの守りについた兵士。
- 律令国家
- 法律と役所を使い、天皇を中心に全国を治める国家。
- 大宝律令
- 701年に完成し、国の統治の基本となった法典。
04
日本は遣隋使・遣唐使を送り、東アジアの大国から制度や文化を学んだ。894年、唐の衰えや航海の危険などを背景に、菅原道真が遣唐使の停止を提案する。その後、中国文化を土台にしながら、かな文字や和歌、寝殿造など、日本の生活に合った国風文化が育った。
生まれ変わりポイント外国の手本をまねる段階から、学んだものを自分たちの形に編集する段階へ進んだ。
- 遣唐使
- 唐の制度や文化を学ぶために送られた使節。
- 菅原道真
- 894年に遣唐使の停止を提案した学者・政治家。
- かな文字
- 漢字をもとに、日本語を書きやすくした文字。
- 国風文化
- 平安時代に発達した、日本の風土や生活に合う文化。
- 源氏物語
- 紫式部がかな文字を使って書いた長編物語。
- 寝殿造
- 平安時代の貴族の暮らしに合うよう発達した住居。
05
この後海の向こうの巨大帝国に備え、国土を守る戦いへ
ユーラシアの広い地域を支配した元は、日本に服属を求め、二度にわたって攻めてきた。御家人たちは九州で戦い、二度目に備えて博多湾岸に石塁を築いた。暴風も元軍に大きな被害を与えたが、新たに与えられる土地が乏しく、十分な恩賞を得られない御家人の不満が積み重なった。
生まれ変わりポイント征服は免れたが、外敵との戦いが、土地を仲立ちにした鎌倉幕府のしくみを揺さぶった。
- 元寇
- 元による二度の日本襲来。蒙古襲来ともいう。
- 文永の役
- 1274年に起きた最初の襲来。
- 弘安の役
- 1281年に起きた二度目の大規模な襲来。
- 北条時宗
- 元の服属要求を退けた鎌倉幕府の執権。
- 石塁
- 再度の襲来に備え、博多湾岸に築いた防壁。
- 御家人
- 幕府に従って戦った武士。戦後の恩賞不足に苦しんだ。
06
1543年、種子島に漂着したポルトガル人から鉄砲が伝わり、日本の職人は短期間でその製造法を身につけた。1549年にはザビエルがキリスト教を伝え、南蛮貿易も活発になる。大名は新技術と貿易を利用し、軍備や城、戦い方を変えていった。
生まれ変わりポイント外国の技術をすぐに国産化し、宗教と貿易も大名どうしの競争に組み込んだ。
- 鉄砲伝来
- 1543年、種子島に火縄銃が伝えられた出来事。
- ザビエル
- 1549年に来日し、キリスト教を伝えた宣教師。
- 南蛮貿易
- 日本とポルトガル・スペインなどとの貿易。
- キリシタン大名
- キリスト教を信仰し、宣教を保護した大名。
- 長篠の戦い
- 鉄砲が集団で用いられたことで知られる1575年の戦い。
- 南蛮文化
- ヨーロッパとの交流から生まれた文化。
07
この前大名や商人も海外へ行き、宣教師が各地で活動する
幕府はキリスト教と海外勢力の結びつきを警戒し、日本人の海外渡航やポルトガル船の来航を禁じた。ただし、外国との関係がなくなったわけではない。長崎・対馬・薩摩・松前という「四つの口」を通じ、貿易・外交・情報の流れを幕府が管理した。
生まれ変わりポイント世界から閉じこもったのではなく、自由な交流を、幕府が統制する交流へ変えた。
- 鎖国
- 幕府が海外との交流相手と窓口を厳しく制限した体制。
- 禁教
- キリスト教の信仰と布教を禁止した政策。
- 出島
- 長崎に置かれ、オランダ商館が移された人工島。
- 長崎口
- 中国・オランダとの貿易を行った窓口。
- 対馬口・薩摩口
- 朝鮮、琉球との外交・交易を担った窓口。
- 松前口
- 松前藩を通じ、アイヌの人々と交易した窓口。
08
この前清を中心とする東アジアの秩序が、長く続いていた
この後西洋の軍事力が東アジアの大国を破る時代になる
1840年に始まったアヘン戦争で、清はイギリスに敗れ、不平等な南京条約を結ばされた。日本にとって、長く文化の手本としてきた清の敗北は大きな衝撃だった。幕府は1842年、異国船打払令を薪水給与令に改め、海防・西洋式砲術・外国情報の収集を急いだ。
生まれ変わりポイント遠い国の敗戦を自国の危機として受け止め、黒船が来る前から対応を変え始めた。
- アヘン戦争
- 1840年から、清とイギリスが戦った戦争。
- 南京条約
- 清が港を開き、香港をゆずった講和条約。
- 異国船打払令
- 外国船を見つけしだい追い払うとした幕府の命令。
- 薪水給与令
- 外国船に燃料や水を与えて帰す方針へ改めた命令。
- 海防
- 海岸を守り、外国船の攻撃に備えること。
- 蘭学
- オランダ語を通して学んだ西洋の学問。
09
この前幕府が外国との窓口を限り、全国の大名を従える
この後開国をめぐって幕府が揺らぎ、新しい政府が生まれる
1853年、ペリーが蒸気軍艦を率いて来航し、翌年、幕府は日米和親条約を結んだ。続く通商条約は日本に不利な不平等条約だったため、幕府への批判が高まる。開国か攘夷かをめぐる対立や国内の政治争いが重なり、約260年続いた江戸幕府は倒れ、明治政府が成立した。
生まれ変わりポイント外国に開国を迫られたことが、外交だけでなく、日本を治める政府そのものを変えた。
- ペリー来航
- 1853年、アメリカ艦隊が浦賀に来て開国を求めた出来事。
- 日米和親条約
- 下田・函館を開き、鎖国体制を終わらせた条約。
- 日米修好通商条約
- 関税や裁判の面で日本に不利だった通商条約。
- 尊王攘夷
- 天皇を尊び、外国勢力を追い払おうとする考え。
- 大政奉還
- 徳川慶喜が政権を朝廷に返した出来事。
- 明治維新
- 幕府を倒し、近代国家をめざして進めた改革。
10
明治政府は岩倉使節団を欧米へ送り、政治・産業・教育を直接調べた。外国人専門家を招き、留学生を送り、複数の国の制度を選んで組み合わせた。廃藩置県、学制、徴兵令、地租改正、殖産興業を進め、憲法と国会を持つ近代国家を短期間で築いた。
生まれ変わりポイント西洋を丸ごとまねるのではなく、分野ごとに手本を選び、日本の国家制度へ組み直した。
- 岩倉使節団
- 1871年から欧米を視察し、制度や産業を調べた使節団。
- 廃藩置県
- 藩を廃止し、政府が任命する県令を置いた改革。
- 学制
- 全国に学校を設けようとした近代的な教育制度。
- 徴兵令
- 満20歳の男子に兵役の義務を課した法令。当初は免役規定もあった。
- 殖産興業
- 政府が近代産業を育てた政策。
- 大日本帝国憲法
- 1889年に発布された、日本最初の近代憲法。
11
この前欧米の植民地にされないことが、国の大きな目標
帝国主義の時代、日本は富国強兵を進め、日清・日露戦争に勝利した。不平等条約の改正を進め、列強の一員と見られるようになった一方、台湾を植民地とし、1910年には韓国を併合した。自国の独立を守ろうとした国が、他国の独立を奪う側へ変わった。
生まれ変わりポイント近代化は日本の存続を助けたが、その力は周辺地域への支配と被害にもつながった。
- 帝国主義
- 強い国が軍事力で植民地や権益を広げた動き。
- 日清戦争
- 1894年から日本と清が朝鮮をめぐって戦った戦争。
- 下関条約
- 清が台湾などを日本へゆずった講和条約。
- 日露戦争
- 1904年から日本とロシアが戦った戦争。
- ポーツマス条約
- 日露戦争を終わらせた講和条約。
- 韓国併合
- 1910年、日本が韓国を植民地支配下に置いた出来事。
12
1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟を理由に連合国側で参戦し、中国・山東省のドイツ権益や南洋諸島を占領した。欧州製品がアジア市場から減ったため、日本の輸出と工業生産は伸びたが、物価高と米騒動も起きた。中国への二十一か条の要求は強い反発を招き、1919年のパリ講和会議では戦勝国として世界政治に参加した。
生まれ変わりポイント日本から遠い戦争が、経済と国際的地位を高める一方、中国への圧力や国内の物価高も広げた。
- 第一次世界大戦
- 1914〜1918年、連合国と同盟国を中心に戦われた世界規模の戦争。
- 日英同盟
- 日本が連合国側で参戦する根拠となったイギリスとの同盟。
- 二十一か条の要求
- 1915年、日本が中国の袁世凱政府へ認めさせた要求。
- 大戦景気
- 輸出の増加により、日本の工業と海運が急成長した好景気。
- 米騒動
- 1918年、米価の急騰をきっかけに全国へ広がった民衆運動。
- パリ講和会議
- 1919年、日本も戦勝国として参加した戦後処理の会議。
13
この前政党内閣が続き、国際協調で問題を解こうとする
1929年の世界恐慌は日本にも及び、生糸の輸出が落ち、農村の生活が悪化した。1931年、関東軍は満州事変を起こし、政府も占領を追認する。国際連盟が満州国を認めないと、日本は1933年に脱退を通告し、その後、中国との全面戦争へ進んでいった。
生まれ変わりポイント危機が自動的に戦争を生んだのではない。苦境のなかで軍事行動を選び、止められなかった結果だった。
- 世界恐慌
- 1929年の株価暴落から世界へ広がった大不況。
- 昭和恐慌
- 世界恐慌などの影響で日本を襲った深刻な不況。
- 満州事変
- 1931年、関東軍が中国東北部を占領した出来事。
- 満州国
- 日本軍の支配下で中国東北部につくられた国。
- 国際連盟脱退
- 満州国をめぐる勧告を受け、日本が脱退を通告した。
- 日中戦争
- 1937年に始まった日本と中国の全面的な戦争。
14
この前植民地と軍隊を持ち、国民を総動員して戦う帝国
この後植民地と軍事力を失い、連合国軍の占領下に置かれる
沖縄戦、本土空襲、広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦を経て、日本はポツダム宣言を受け入れた。戦争は1945年8月に終わり、日本の植民地支配も終わった。多くの命と都市を失い、海外からの引き揚げも続くなか、日本は連合国軍の占領下に置かれた。
生まれ変わりポイント国の領域・軍事・政治の前提が一度に崩れ、日本史で最大級の「作り直し」が始まった。
- 沖縄戦
- 住民を巻き込み、多数の犠牲を出した地上戦。
- 原子爆弾
- 広島と長崎に投下され、甚大な被害を生んだ兵器。
- ソ連参戦
- 1945年8月、ソ連が日本との戦争に加わったこと。
- ポツダム宣言
- 連合国が日本に降伏と軍国主義の除去を求めた宣言。
- 終戦
- 8月15日に降伏受諾が国民へ伝えられ、9月2日に降伏文書へ署名した。
- 引き揚げ
- 海外にいた軍人や民間人が日本へ帰ること。
15
この後国民主権・基本的人権・平和主義を国の柱にする
連合国軍総司令部(GHQ)は、日本政府を通して非軍事化と民主化を進めた。日本側との交渉や国会での審議を経て日本国憲法が成立し、女性参政権、農地改革、教育改革なども実施された。1952年、平和条約の発効によって日本は主権を回復したが、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれた。
生まれ変わりポイント外からの強い働きかけを受けながら、制度として定着させ、現在の日本の土台にした。
- GHQ
- 占領政策を進めた連合国軍総司令部。
- 日本国憲法
- 1947年施行。国民主権・基本的人権・平和主義が柱。
- 女性参政権
- 女性にも選挙権と被選挙権が認められた。
- 農地改革
- 地主の土地を小作人へ移し、自作農を増やした改革。
- 教育基本法
- 戦後の民主的な教育の基本を定めた法律。
- サンフランシスコ平和条約
- 1952年に発効し、日本が主権を回復した条約。
16
この後日米同盟のもと、防衛を抑えながら経済を伸ばす
米ソの冷戦が激しくなり、1950年に朝鮮戦争が始まると、占領政策は日本の早期復興を重視する方向へ変わった。朝鮮特需が復興を加速させ、日米安全保障条約と自衛隊による安全保障の形が整う。技術導入・設備投資・貿易の拡大も重なり、高度経済成長へ進んだ。沖縄は米国統治が続いたのち、1972年に日本へ復帰した。
生まれ変わりポイント安全保障をアメリカに大きく依存しながら、経済成長を中心に国を再建した。
- 冷戦
- アメリカとソ連が直接戦わずに続けた世界的な対立。
- 朝鮮特需
- 朝鮮戦争のため、物資やサービスの注文が日本に集まったこと。
- 日米安全保障条約
- 日本の安全保障と米軍の駐留に関する条約。
- 自衛隊
- 1954年に発足した、日本の防衛を担う組織。
- 高度経済成長
- 1950年代半ばから、日本経済が急速に拡大した時期。
- 沖縄返還
- 1972年、沖縄の施政権がアメリカから日本へ返還されたこと。
17
この後省エネ型の生産と製品を強め、石油依存を下げる
1973年の第1次オイルショックで原油価格が急上昇し、石油の多くを輸入する日本では物価上昇や買い占めが起きた。企業は燃料を減らす生産方法を開発し、政府も石油以外のエネルギーと省エネを進めた。省エネ型の自動車や家電が強みとなり、素材産業から加工組立型産業への転換も進んだ。
生まれ変わりポイント資源の乏しさを、節約だけでなく、省エネ技術と産業構造の変化につなげた。
- オイルショック
- 中東情勢を背景に石油価格が急上昇した世界的な混乱。
- 石油依存
- エネルギーの多くを輸入石油に頼っている状態。
- 狂乱物価
- 1973〜74年ごろ、物価が急激に上がった状態。
- 省エネルギー
- 同じ働きを、より少ないエネルギーで行うこと。
- 省エネ法
- 1979年に制定され、エネルギーの効率的な利用を進めた法律。
- 産業構造の転換
- エネルギーを多く使う産業から、技術・サービス重視へ移ること。